80年におよぶ実績と信頼は次の100年へ
創業から今⽇に⾄るまでの奥多摩⼯業の歴史をご紹介します
1937-1949 昭和12年-24年
前⾝は⽯灰⽯輸送が主⽬的で
敷設された
奥多摩電気鉄道
という鉄道会社
当社の主要事業である石灰石という天然資源の事業化は、浅野セメント株式会社が奥多摩日原地区に露出している石灰岩層を開発し、セメント原料の供給源として鉱床一体の山林を買収したことからスタートします。日本の近代化と同時に、コンクリートの需要が急増し、石灰石の輸送を目的として1937年に当社の前身となる「奥多摩電気鉄道株式会社」が誕生しました。そこから7年を費やし、9.76Kmに及ぶ石灰石輸送のための鉄道を敷設しましたが、戦時中だった当時、完成からほどなく政府に買収され、昭和19年7月から旧・国鉄青梅線の名称で運行を開始します。そこで奥多摩電気鉄道は、奥多摩工業に社名を変え、氷川工場から石灰石を輸送する貨物列車が行き交い、1998年まで青梅線を代表する風景として親しまれていきます。
1950-1969 昭和25年-44年
戦後復興から⾼度経済成⻑を⽀えた
増産体制と経営多⾓化
1956年、「もはや戦後ではない」の宣言に象徴される政府の経済白書や、終戦から10年目にしてGDP(国内総生産)が戦前の水準を超え、日本全体が戦後復興から高度成長期の始まりの年でした。
産業界は目覚ましい技術革新と重化学工業が発展を遂げ、奥多摩工業にとっても躍進した時代でした。単に生産量の増大にとどまらず、主要事業から派生した関連会社を創設し、当社を頂点に、土木建設工事の奥多摩建設工業株式会社、石灰石の焼成化工部門として奥多摩化工株式会社、硬質砂岩を主とした砕石骨材の生産、輸送部門担当として新たに砕石事業部の設置(後に、瑞穂建材⼯業株式会社並びに、瑞穂建材運輸株式会社として独⽴することとなる)と、⽯灰⽯を中⼼としながらも将来の発展を⽬指して多⾓化へのピラミッド構造を築いていった時期でもありました。
1970-1989 昭和45年-平成元年
「量から質」への転換
⾼付加価値製品開発と
新領域への展開
1970年代に2度発⽣した、原油の供給逼迫及び原油価格の⾼騰に伴うオイルショックで⽇本経済への影響も多岐に渡り、当社においても鉄鋼、セメント、その他化学⼯業部⾨の需要停滞は免れず、燃料費、電⼒費、輸送費などのコストの⼤幅上昇に加え、天祖関係を始め将来に対する設備投資の増加に伴う固定費が増加。この危機を乗り越える過程で⽯灰⽯の新規利⽤⽅法の開拓と⾼付加価値製品の開発へ注⼒していくことになります。1974年に⽯灰⽯化工を⾏う⼦会社である奥多摩化⼯株式会社を吸収合併し、採掘‧化工‧販売までの⼀貫した製品開発の仕組みを構築します。
その中で、沈降性炭酸カルシウム製品として誕⽣したタマパールは、当初、樹脂向けとして製造法を確⽴したが需要先の不振により販売減少となったため、ゴム⽤充填剤として用途開発。安定⽣産が可能となると従来のパウダー品に代わる製品として製紙業界へ参入し、その後の製紙⽤原料としてなくてはならないものになりました。
また、⾼度経済成⻑期を中⼼に、⾯的、量的拡⼤を図りながら急速に拡⼤した上下⽔道管の埋設、掘削⼯事に伴って発⽣する残⼟処理が社会問題になり、⽯灰安定処理⼯法の応⽤として、掘削残⼟を埋め戻し⽤原料に改良する技術を確⽴。残⼟処理(改良⼟)事業として、神奈川県⼤和市と⼾塚区に相次いでプラントを建設し、この分野での事業を推進していきました。
1990-2009 平成2年-21年
めまぐるしく変化する社会の中、
さまざまな⽯灰製品の
ニーズに応える
1990年代は社会が環境汚染問題にも揺れた時代でした。当社では従来ゴミ焼却炉の排ガス処理剤として使⽤されていた特号消⽯灰に代わる新しい排ガス処理剤として、1993年ドイツのライニッシェ‧カルクシュタイン‧ヴェルケ社とライセンス契約を締結し、1995年に「タマカルク」の製造販売を開始しました。従来の「特号消⽯灰」と⽐べBET⽐表⾯積が2.5倍、平均粒⼦径がおよそ半分という特徴を持つことで反応性に優れており、さらにHCl濃度50ppmの排出濃度規制の条件下では、特号消⽯灰の半分程度の使⽤量で済むなど、⾼性能でトータルコストを下げられたことから他社製品と圧倒的な差別化を図ることに成功しました。
また、鉄鋼業界、及び製紙業界の需要により、⼯業⽤⽯灰の⽣産⼯場を建設し事業を強化、2002年に新潟ピーシーシー、2007年⼭陽太平洋ライム社を設⽴します。
2010- 平成22年-令和時代
社会価値と企業価値の両⽴へ
社会と未来に必要とされる企業で有り続けるために
採掘すれば天然資源が減耗し、枯渇するという宿命を背負っている鉱⼭会社。21世紀を迎えて、社会や顧客が抱えている課題やニーズを⾒つけ出し⽯灰事業を通して、解決することにより、社会や顧客との絆を深め、設⽴から80年を超える歴史の中でさまざまな環境の変化に対応しながら、天然資源の開発‧供給に取り組むとともに、持続的な成⻑を⽬指しています。